『歴史学研究』No299号

1965年4月

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紀元節問題と「期待される人間像」


表紙

古屋 哲夫



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 紀元節復活をとりあげた2月2日の閣議は、この問題を政府の責任で本腰を入れてとりあげ、今国会で実現をはかるという方針を決定、翌3日、全国知事会主催の知事会議に出席した佐藤首相は、愛国心を喚起することが必要であると強調し、内山神奈川県知事の質問に答え て、“建国記念日は、国民に親しまれてきた2月11曰 (紀元節)とするのが適当である。このための祝日改正の法案はこれまで議員提出法案として数回国会に提出さ れたが、いずれも成立しなかった、いまや政府は熱意を もってこの法案を提出する必要があると思う”と言明した。ついで、問題の2月11日には、内山知事によって、 神奈川県庁で紀元節祝賀行事が強行された。

  1951年、サンフランシスコ講和調印前後から、保守政党、右翼、神社関係者、旧職業軍人などの間ではじめられた紀元節復活の運動は、その後、57、58、61、63年と 4回にわたる議員提出法案は未成立に終ったものの、全体としてその勢いを増しつつあるようにみえる。しかし それは、世論調査をみても紀元節復活の支持者が減少しているように、(後述)、この運動が国民をとらえつつあるということを示すのではなく、政府側の暗黙の支援が次第に増大しつつあることを物語るものであった。例えば、56年2月11日、高知県繁藤小学校で授業を中止して紀元節の式典を挙行した時に、清瀬文相は、「:各人は祝う自由を持っている……私は祝う方に賛成である」(56. 2.14、衆院文教委)と言明して、公立学校が、法律にない祝日を祝うという違法行為を暗黙した。また、59年2月11日、橿原神宮の紀元節祭典には、自衛隊音楽隊が参加、空からも自衛隊機が祝賀飛行を行ったといわれる。 そして今度の佐藤首相の言明にしても、地方公共団体と して最初に紀元節復活の行事を試みようと意図していた神奈川県知事を支援するという直接の効果を生み出している.そうした点からみれば、政府が自らの責任で乗り出してきたことは、紀元節復活運動を一層活発なものにするであろうし、この運動に新たな段階を画する事件だと言ってもよい。当然に反対運動の側もより強力な組織を準備しなくてはなるまい。

  しかし問題はそれだけではない。一般的にいって、祝日の決め方は、その国家の性格をあらわすものであるが、とくに建国記念日は、国家の構成原理そのものを指し示すものである。従って、政府が自らの責任で建国記念日の名によって紀元節復活にのり出してきたことは、 国家構成に関して、日本国憲法と異った原理を打出すことに他ならない。 この点を見きわめることが、今日最も重要な課題であり、紀元節問題も、こうした全体的情勢の把握の中に位置づけておくことが必要となっている。

  問題をこうした角度からみるためには、政府が紀元節復活の態度を明確にする直前の1目11日に、中央教育審議会が「期待される人間像」草案を発表していることが注目される。この草案と、紀元節(こついての政府の態度決定との間に、どのようなつながりがあるか具体的にはわからないが、この両方が同じ時期にあらわれたことは単なる偶然とは考えられない。もし、仮に具体的なつながりがないとしても、この「人間像」草案に近い思想が相当強まっているという認識なしには、佐藤内閣といえども、紀元節復活を政府の手で、という強い態度には出られなかったのではないかと思われる。




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 「期待される人間像」草案については、すでに活発な批評が各方面から発表されているが、これらの批評にはこの草案をつくった中教審の委員たち、−平均年齢約68歳の年寄りたち−の思想を問題lこするというやり方が多い。しかし、草案の骨子をなしているのは、これまですでに政府側が色々な機会(こ表明してきた見解と同じものであり、従ってこの案の特色は、第1には、そう した政府側の見解を統一した点にあるとみられる。だから、批判も、委員たちの思想や、草案のもつさまざまな矛盾を明らかにするだけでなく、全体としてどのような方向を打ちだそうとしているか、という点に注目することが必要となろう。第2の特色は、そのような統一にあたって、天皇、国家に対する思想を、統一のかなめとして強く打出している点である。この点もこれまで、政府の側が折にふれて述べてきた思想と本質的に異るものではないが、それをより強く、明確に表現しているのであり、ちょうど、紀元節復活を背後から支援していた政府が、舞台の正面におどり出たことと対比できる関係をなしている。  

  この草案の柱となっているのは、第一には講和以後おしすすめられてきた道徳教育の強化、愛国心の強調という政策であり、第二は、安保改定後声高く唱えられるに至った日本大国論であり、経済の高度成長を欧歌する日本先進国論などのイデオロギーである。そして、革命主義と大衆文化;に激しい攻撃を加え、民族、国家、天皇などの価値を強調することによって全体の統一をはかると いうのがこの草案の基本的な構造をなしている。その問題意識は次の一節で明らかである。

 

「日本における戦後の経済的復興は世界の驚異とされている。しかし、経済的繁栄は一部に享楽主義の傾向を生み、精神的空白を生じた。このように欲望の増大だけがあって精神約理想が欠けた状態がもし長く続くならば、長期の経済的繁栄も期待することができない.。」

 つまり、経済的繁栄をつづけるためには、精神的理想が必要なのであり、この理想を提示することが「人間像」の中心問題とされるのである。そしてまづ経済的繁栄そのものの中から「日本の使命」なるものを導いてく る。

 

「日本は与えられる国ではなく、すでに与える国になりつつある。日本も平和を受けるだけではなく、同時に平和を与える国にならなければならない。……日本の使命が西と東のかけ橋であるだけではなく、 北と南、先進国と後進国のかげ橋となる点にあることを思うべきである。そこに現在の世界における日本の存在理由があり、世界に貢献できる固有の立場がある」

 しかし、他の箇所では、「世界が自由主義国家群と全体主義国家群の二つに分かれている」という認識が示さ れているのであり、「中共承認」も打出さないで、何が東西のかけ橋か、という批判も成り立つわけである。従って ここでは経済の高度成長という「状況」によりかかり、 先進国意識をあおり立て、「与える国」というイメージ をつくり出して、独占資本の海外進出政策を「日本の使命」におきかえているにすぎない、このことは勿論、この草案の基本的性格の一面を物語る重要な点であるが、 (当面する問題でいえば、日韓会談推進は「日本の使命」ということになろう)。「状況」が変れば通用しなく なってしまう。そこで、国家そのものを愛する精神を植えつけようとするのである。その際、家庭→社会→国家というつながりを強調し、「家庭は愛情の体系である」 「われらの愛は自然の情である」と規定して、この自然情のをそのまま社会、国家への愛につなげようとする。

 

「家庭における愛の諸相が展開して、社会や国家や人類1こ対する愛ともなるのである」

 この「自然の情」から愛国心をつくり出そうとする試みは、例えば、郷士愛→愛国心といったように、従来から保守政党の愛用してきた論法である。このやり方でゆけば、国家とは何か、愛するに足る国家とは何かという 問題を避けて通れるわけである。しかしこの草案は、 「自然の情」の拡大に満足しているわけではない。「愛情の体系」としての家庭を基礎におく家庭→社会→国家 の関係を設定する反面で、国家の価値を強調することによって、逆!こ、国家→社会→家庭→個人にまで及ぶ規範の体系を生み出そうとするのである。この点が、この草案の最大の特色であり、我々が力をこめて反撃しなくてはならないものである。

 

「今日世界において国家を構成し国家に所属しないいかなる個人もなく、民族もない。国家は世界において最も有機的であり、強力な集団である、個人の幸福も安全も国家によるところがきわめて多い。世界人類に寄与する道も国家を通じて開かれているのが普通である。国家を正しく愛することが国家に対する忠誠であり、ひいては人類を正しく愛することに通じることを知らなければならない。
自国を正しく愛するとは、自国の価値をいっそう高めようとする心がけであり、その努力である。自国の存在に無関心であり、その価値の向上に努めず、ましてその価値を無現しその存在を破壊しようとする者は、自国を憎むものであり、ひいては人類を憎むものである。われわれは日本を正しく愛さなければならない」

 これは、 「正しく日本を愛する人となれ」という節の全文である。長く引用したのは、この内容が重大であるからであるが、同時に、ここでの中核におかれている 「自国の価値」「存在」に関する説明はこれだけしかないという点に注意をひきたかったからでもある。

  自国の価値を高めること→愛すること→忠誠というこの文の論理的構造の基礎となっている「価値」とは何だろうか、「最も有畿的であり、強力な集団」いう規定が価値の内容とされるのであろうか。ともかくこの文章からは、国家の価値、国家への忠誠は無条件的なものとされているような印象をうける。この他、国家に関することでは、福祉国家、文化国家という用語もみえるが、そこでは、物質的だけでなく精神的、道徳的にも豊かになれと説かれているにすぎない。また民主主義については、個人の自由と資任を重んじ、法的秩序を守ることを強調し、革命主義に反対するだけであり、これらの国家に関する叙述のなかで主権在民の原理に関して一言も触れられていない。それとは逆に国家への忠誠についで、 社会秩序の根本を法秩序におき、「法秩序を守ることによって外的自由が保証され、それを通じて内的自由の領域も確保される」とする。そしてさらに、家庭における 「貞」「孝」「梯」という道徳や、「親の愛とともに親の権威が忘れられてはならない」ことが強調される。個人についてもまた「家庭、社会、国家は経済的その他の意味をもつことはもとよりであるが、人間性の開発という点からみても基本的な意味をもつのである。家庭、社会、国家が人倫態と呼ばれるのはこのためである」とされ、個性の伸長もこの規範の体系の中にとじこめられるのである。

  家庭→社会→国家へと至る「自然の情_jの上昇拡大と、国家の価値から国家→社会→家族→個人と下降する規範の体系とをリンクさせるこの「人間像」草案は、さらにこの縦の関係に対して横の関係として「民族」を強調し、その全体を統合するにあたって「天皇」を登場させる。

 

「戦後の日本はかつての民族共同体的な長所を喪失し、しかも確固たる個人の自覚にはまだ達していない。この埋没された自我を新しく掘り起こしつつ、民族としての共同の責任をになうことが重要な課題の一つである。」
「それぞれの国はみなその国の使命あるいは本質を示す象徴をもち、それに敬意を払い、その意義を実現しようと努力している……(略)
われわれは日本の象徴として国旗をもち、国歌を歌い、また天皇を敬愛してきた。それは日本人が日本を愛し、その使命に対して敬意を払うことと別ではなかった。天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。われわれは祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛することと一つであることを深く考えるべきである」

 ここでもまた天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基く」という憲法の規定は全くかえりみられない。しかし、それにしても 「国の本質あるいは使命_j とは一体何ものであろうか。さきの引用と関連させていえば、天皇は東西、南北のかけ橋という日本の使命の象徴だというのでもあろうか。

 ともあれ、家族における愛情と共に民族や天皇に対する非合理的心情をよびさまし、育成し、動員し、国家を情緒化し、規範の体系としての強力な国家に接合しようというこのやり方は、主権在民の原理を逆転させようとすることに他ならないし、また明治以来の天皇制イデオロギー形成の方法と同じである。草案はこの点に関連して「明治以降の日本人が、近代史上において重要な役割 を演じるととができたのは……彼らが気骨をもち、風格を備えていたからである」とし、「戦後の日本人、……に見られる気魄の欠除」をなげいている。それは現在の支配層が、経済的成長にみあう国民の統合を探し求めていること、そして主権在民の原理の下では統合の方法を見出し得ず、明治以来の近代化方式を再びとりあげようと していることを意味している。そして、現在論壇をにぎわせている「近代化論」がその後景をなしていることはいうまでもない。ここまでくれば、紀元節復活が、この 「人聞像」草案にその要求の根拠を求めることは、はなはだ容易となる。紀元節は一方で天皇を神と接合させる問題であると共に、他方で明治以後の近代化のあり方にかかわっているからである.草案は紀元節を暗黙に支援するかのように、レヂャーの快楽への消費を批判しなが ら、次のようにつけ加えている。「もともと祭日や休日 は神を祭るために定められた一面もある」と。




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 紀元節復活法案の提案にあたって、自民党議員たちが 理由としてきたのは、「国民の大多数が支持している」 「国民が親しんできた祝日である」という二点にあった。このうち第1の理由はすで(ご成り立たなくなってきた。1948、52、54年などに行われた世論調査では紀元節賛成は7〜8割に達していたが、60年3月、総理大臣官房審議室の行った調査では、「建国を祝う日があった方がよい」とする者、40%であり、その内訳をみると、2 月11日が18%、その他の日が4%、いつでもよいと不明 が18%、また「なくてもよい」とする者、39%となっている。紀元節支持者は7〜8割から2割を割る程の急激な凋落ぶりを示している。

  従って、紀元節復活論の根拠は、国民が明治以後ながく親しんできた、という点にしぼられてきている。そして反面、史実はどうでもよいという態度が強められている。勿論、我々は、紀元節が復活されれば、紀記のもつイデオロギー性、それを利用する者のイデオロギー性が国民の中に、直接には教育の中に入り込まないわけにはゆかないということを、繰返し主張しつづけなければならない、と同時に、復活論の主要な論拠となりつつある日本近代化をめぐる論点との対決を強めなければならない。この点で従来我々の努力は極めて不十分であった。 この稿でもとうてい十分ではありえないが、とりあえず いくつかの論点を指摘しておきたい。

  第一は、紀元節が「国民に親しまれた」というのはどのような内容をもっていたのか、という点である。すでに明かにされているように紀元節は1873(明治6) 年、 それまで「国民に親しまれてきた」端午、七夕などの五節句を廃止して、その代りに天長節と共に国家の祝日と定められたものであり、従って当然に当時の国民には親 しまれたものではなかった.親しまれたと呼べるような状態が生まれるのは、1889(明治22) 年の紀元節に明治憲法が発布され、紀元節に憲法記念日が重ね合わされて以後であり、とくに曰清戦争以後の戦争の勝利、それに伴ってきた国家意識の高まりと結びついている。

  この過程については、日本史研究会編「日本の建国―歴史家は紀元節をどうみるか」(57年、東大出版会)歴史教育者協議会編「紀元節」(58年、淡路書房新社)などを参照されたい。

  従って、国民は紀元節に権力によって親しまされてきた、という点が基本的であるが、しかし次第に自発的に親しむ面をも持つようになるのであり、この点については、当時の国民の国家観、天皇観の形成とその構造を歴史的に明らかにすることが必要だと思われる。それは同時に、国民自身の生活上の利害から導き出されたものではないそうした観念が、国民の生活を破滅におとしいれていったことを明らかにすることでもあろう。ここに民主主義の問題がある。

  第二は、最近の「近代化」論がこの民主主義の問題を無視していることを明かにしなければならない。最近の「近代;化」論の特長は、近代化=工業化という概念を根本においている点にある。この論は、工業化、生産力の発展さえあれば、民主主義などはどうでもよいという傾向が強い、(手近かな例としては、清水幾太郎「新しい歴史観への出発」中央公論、63年12月号)そして、現在、日本の工業化の速度を誇るという形の愛国心が形成されつつあるのであり、紀元節賛成派が戦前の近代化を たたえれば、反対派は戦後の高度成長庭力点をおくとい う関係さえ生れつつあるようにみえる。1例として、 「朝日ジャーナル」65年2月21日号が「紀元節論争の底にあるもの」の中でとりあげている諸者投稿をみても、 1大学生が、紀元節が「日本の近代化の一端を担ったという事実」を強調し、「内側から近代のエトスを建てねばならない」とするのに対して、1高校生は、「紀元節で万歳をいったり、天皇の写真に敬礼する愛国心はあり ません。しかしオリソピックで日の丸があがれば喜びますし、鉄鋼生産高が西ドイツをぬいて三位になったといえば、やはり誇りに思います」と自らの愛国心を語っている。また、他の調査では、 日本は今や先進国であり、 後進国を援助したり指導したりする実力をもっている」という項目を肯定した者56.8%、否定した者19.6% と報告されている。(吉村融 「日本人の愛国心」自由、 65年3月号)さらには,高校1年生を対象としたアンケートで、紀元節賛成が反対を倍以上上回ったが「ほとん どが2月11日はなぜ紀元節なのかも知らずに賛成している。意味を知って賛成しているのは15人中たったの2人である。その逆に紀元節ということばも知らずに賛成しているものが2人もある」(毎日新聞、65年2月9日夕 刊、「紀元節考(上)」」という現象があらわれるのも、 一つには、このような形の愛国心がムード的に存在し、 拡大していることを示しているのではあるまいか。

  そこでは、民主主義の問題、とくに主権在民の問題は無視される危険が大きいように思われる.我々は主権在民の問題を何事につけても、最も基本的な命題として主張しつづけなくてはならないのであり、紀元節問題に対する場合でも、近代化論批判でもこの点を中心としないわけにはゆかない。それは同時に社会科教育改悪への反対ともならねばなるまい。

  第3に、国家とは何かという問題を、国民の生活との関連で具体的に分析する必要があるだろう。紀元節問題は、次第に建国記念日はどうあるべきかについての国民の関心を拡大させるという役割を果してきた。従って問題は、国家とは何かという方向に深められねばならなくなっている。しかし政府と区別され、国土と区別された 国家を説得的に解きあかことは、容易ではない。 だが、 この点の理解をめぐってこそ、我々は紀元節復活論とも、「期待される人間像」草案とも正面から対立しているのではないだろうか。

 紀元節復活法案は、3月中に国会に提出されると伝えられる。我国は紀元節復活を阻止しなければならないし、その後景にある「期待される人間像」草案も打破しなくてはならない。しかし、問題は、一つの儀式を、一つの決定を阻止すれば終るというものではない。そうした方向を強行しようとする勢力とどうしたら日常的な闘争を有効にくむことができるのか、という点に我々の当面する課題があるのであり、そのためには、イデオロギー状況の全体的な把握こそが必要となろう。この稿がそのための討論の素材となりうれば幸いである。