『現代歴史学と教科書裁判』 |
1973年4月 |
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古屋 哲夫 |
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満州事変後の二度にわたる不可侵条約提議を拒絶されたソ連は、いわゆる「北満」鉄道の権利を「満州国」に譲渡し(1933年6月交渉開始、35年1月協定調印)、紛争の因を除こうとすると共に、33年に始まる第二次五ヵ年計画の実施にあたっては、極東地方の開発と軍事力強化に努力した。
つまり「日満脅威軍備ノ解消」など従来の反ソ・防共政策の考え方をうけついでいるが、ノモンハン事件における敗北によって、ソ連極東軍備打破の現実性は、はるか彼方に遠のいており、また国内における防共=社会運動・思想に対する弾圧体制の完成したこの時点では、援蒋行為中止を求める観点と同時に、アメリカに対する立場を強化するためにソ連と接近する可能性が考慮され始めていたのである。 |