『「満洲国」の研究』 第1部 「満洲国」の成立 第2章

1993年3月

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「満洲国」の創出


 

古屋 哲夫

はじめに
1満洲建国路線の形成
2建国過程の諸側面
3満洲国の基本構造
むすび
註釈


むすび



 では、満洲建国と同時に声高に叫ばれるようになった「民族協和」「王道主義」とは何だったのであろうか。このうち「民族協和」は、そのための特別な施策がとられることもなく、したがって王道が実現すれば、自然に達成されるかのごとく捉えられていたと思われるのであり、 何ら論ずるに足るほどの展開はみられなかったといってよいであろう。また「王道主義」の方も、儒数的徳目を取り上げただけで、そこから現実政治に対する批判や要求が生み出されたことはなかったように思われる。つまり「民族協和」「王道主義」は、満洲国の構造に影響を与えることのない外的な装飾に終わったというべきであろう。創出された満洲国を動かす次の動力となったのは、こうしたイデオロギー的な問題ではなく、建国過程の関東軍の「満蒙自由国」論につながる治外法権撤廃問題であった。それは日本が中国に押し付けた不平等条約にも とづく特権を放棄するという点では、満洲国の独立を尊重したという評価を期待できるものであったが、日本人が自由に満洲国の官吏になることが出来るという条件のもとでは、そこからこれまでの特権を満鉄附属地から満洲国全体に全国化するという結果を引き出すことも可能であり、関東軍もそのことは十分に意識していた。
  さきにも引用した陸軍省の「満洲国指導方針要綱案148)」に対する意見のなかで、関東軍は次のような要求を提出している。

 

要綱七ノ第三項トシテ次ノ一項ヲ加フ。  

 

 治外法権ノ撤廃ハ帝国率先シテ之ヲ行ヒ、列国之二追随スル如ク勉メテ建ニ諸制度ヲ完備セシムルモノトス。

 

   理 由

 

 列国ヲシテ建ニ満洲国独立ノ事実ヲ承認セシムルノ手段竝帝国臣民ノ自由ナル発展ノ上ヨリ見テ建ニ諸制度ヲ完備セシメ以テ治外法権撤廃ヲ実現セシムルノ要アルヲ以テ本項ヲ加フ。


 治外法権撤廃の具体的過程については、本書の副島論文を参照して頂きたいが、その過程は、満洲国の日本化を促進することになるのであり、ここではそうした動因が、はじめから満洲国の構造の中に組み込まれていたことを指摘しておきたいのである。

  したがって満洲国は、最初から「民族協和」や「王道主義」を空洞化する方向で創出されたというべきであろう。

註釈