『人文学報』第36号

1973年3月

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北一輝論 (1)


 

古屋 哲夫


は じ め に

1帝国主義と国家の必要
2社会の進化と個人
3公民国家=社会民主主義論
4国体論批判の性格と天皇機関論
5社会主義運動論の特徴と矛盾



2社会の進化と個人


『国体論及び純正社会主義』は5編16章より構成されているが、その編別は次のようである。
第1編 社会主義の経済的正義(3章)
第2編 社会主義の倫理的理想(1章)
第3編 生物進化論と社会哲学(4章)
第4編 所謂国体論の復古的革命主義(6章)
第5編 社会主義の啓蒙運動(2章)

  つまり、第3・4編でこの著作の3分の2近くを占めているのである。このうち第4編は、いわゆる国体論の妄想を打破して明治国家の性格を明らかにしようとするものであり、この著作の中心部分をなすことは言うまでもないが、第3編ではそのための基礎として自らの「進化論」を確立することが意図されているのである。

  北は、当時の流行思想ともいえる「進化論」によって、社会主義の問題を解き明かそうと試みたのであった。彼は「進化」を、ただ単に環境への適応による生物の変化としてではなく、より高い価値が実現されてゆく過程として捉えた。従って人類の歴史もまた「進化」として捉えられ、この人類の「進化」を如何にすれば積極的に推進することが出来るかを問うことになるのであった。彼が「社会主義とは人類と言ふ一種属の生物社会の進化を理想として主義を樹つる者なり」(1-97頁)というとき、そのようないわば倫理的進化観が前提とされているのであった。

  彼は「生存競争」の概念を利用して、社会科学の基礎理論をつくろうと試みた。勿論そのためには、生存競争によって人類が発展することを認めただけでは不十分である。彼は人類社会の発展段階を決定づける基本的な力を生存競争のなかに見出し、社会のあり方が、生存競争のあり方によって規定されていることを明らかにしようとしたのであった。そのためには、生存競争についての彼なりの理論をつくることが必要であった。彼はまず進化の程度に従って生存競争の内容も異ってくると想定した。つまり生存競争の内容そのものも進化するというのである。

  彼は「今の生物進化論者は人類の生存競争も獣類の生存競争も其内容に等差無き者」(1-102頁)と考え、またその理論は「恰も人類を進化の終局なるかの如き独断の上に組織」(1-101頁)されていると批判する。つまり「吾人々類は将来に進化し行くべき神と過去に進化し来れる獣類との中間に位する経過的生物」(同前)であることが忘れられているというのである。そして彼は、「進化の階級」1)によって、生存競争の内容が異ってくるという主張を対置した。

1)

後年の『国家改造案原理大綱』(大正8年)の「結言」のなかに「歴史ハ進歩ス。進歩二階級アリ」という一節があるが、大正12年に『日本改造法案大綱』と改題刊行した際には、この「階級」の語を「階梯」と訂正している。(2ー280、350頁参照)従ってこの例にならえば、「進化の階級」も「進化の階梯」に改められることになったであろう。


  すなわち、人類と獣類とは「進化の階級」が異るのであるから、弱肉強食、優勝劣敗などと言っても、強者・優者の内容も異っている、「人類の生存競争は死刑を以て不道徳の者を淘汰しつつある如く其の内容は全く道徳的優者道徳的強者の意義なり」(1-103頁)と言うのであった。そしてここから北は、更に積極的に生存競争の内容が進化の階級を決定するという論点を導き出していた。

  彼は「食物競争」と「雌雄競争」を「生存競争の二大柱」としているが、そのあり方の変化を通じて、進化はより高い階級へと進んでゆくと考えた。 例えば彼は、「人類」の将来に、「類神人」「神類」というより高い進化の階級を想定するのであるが、そこに至る過程は、食物競争の重圧を排除して雌雄競争を中心とするような、生存競争の内容の変化によって実現されるものと考えていた。それは、生存競争の内容の進化が進化の階級を高めてゆく基本的な力であるという考え方を示すものにほかならないであろう。彼はその過程で更に排泄作用や生殖作用の廃滅という肉体的進化についても述べているが、ここでは彼のそうした空想の後をおう必要はなく、人類進化の終極に「人類」を想定することによって、進化が倫理化され、美化される傾向がより明碓になっていることを指摘しておけば足りるであろう。

  さて、一般に生物の生存競争の内容が進化の階級に対応して異り、生存競争の内容の進化が、進化の階級を高める基本的な力であるとすれば、次には、人類の生存競争はどんな内容を持ち、どんな要因によって進化するのかが問われねばならないであろう。北はさきの引用では、人類の生存競争の道徳性を強調しているようにみえるのであるが、しかし彼はまた「道徳的行為とは社会の生存進化の為めに要求せらるゝ社会性の発動なり」(1-182頁)とも述べているのであり、問題は結局、生存競争における社会性という点に還元されてくるわけである。北はまずこの問題を「生存競争の単位」という一般的な形で提起していた。彼は再び「今の進化論」の批判から始める。

  「吾人は信ず、今の生物進化論は生存競争の単位を定むるに個人主義の独断的先入思想を以てする者なりと。」(1-103頁)

  すなわち彼は、生存競争を一般的に個々の生物の間の競争と考えるのは誤りであって、生物の進化の程度が進むに従って、生存競争の単位は拡大するというのである。つまり「下等生物の生存競争の単位は最も低き階級の個体即ち個々の生物単独の生存競争なるに高等動物に進むに従ひ其の競争の単位たる個体の階級を高くして社会と言ふ大個体を終局目的とする分子間の相互扶助による生存競争に進化する」(1-109頁)と。そして彼は、生存競争に於けるより拡大した単位を、より高級な個体」と考えるのである。従って、行動の単位としての集団を拡大し、その結合を強化することが、進化の「階級」を高める力となるという結論が導かれてくる。

  「即ち、相互扶助による高級の個体を単位として生存競争をなす菜食動物は、分立による下級の個体を単位とする肉食動物に打ち勝ちて地球に蔓延せりと言ふことなり。……喰人族の野蛮人も其の喰ふ処の肉は個人間の闘争によりて得るに非ずして、生存競争の単位は少くも戦闘の目的に於て協同せる部落なり。最も協同せざる肉喰動物と雌も生存競争の単位は如何に少くも相互扶助の雌と子とを包合せる聊か高級の個体に於て行はれ、最下等の虫類たる蚯蚓の如きすら土中に冬籠る必要の為めには二三相抱擁するが如き形に於て暖を取るの共同扶助を解すと言ふ。生物の高等なるに従ひて愈々個体の階級を高くし、鳥類獣類の如き高等生物に至りては殆ど全く人類社会に於て見るが如き広大強固なる社会的結合に於てのみ見出され、社会的結合の高き階級の個体を単位として生存競争をなす。而して此の高き階級の個体を単位としての生存競争は其個体の利己心、即ち社会的利己心、更に言ひ換ふれば分子間の相互扶助によりてのみ行われ、個体の最も大きく相互扶助の最も強き生物が最も優勝者として生存競争界に残る。人類の如きは其優勝者中の最も著しき者の例なり」(1−108頁)

  要するに北は、生存競争の単位としての社会が自らを拡大、強化してゆくことが、人類進化の原動力になると考えたのであった。そしてこれまで結果として実現されてきた進化を意識的に目的として推進することを、自らの社会主義の基本的な立場としたのである。彼は言う。「吾人は社会主義を生物進化論の発見したる種属単位の生存競争、即ち社会の生存進化を目的とする社会単位の生存競争の事実に求むる者なり」(1-103頁)と。

  しかし、社会の拡大・強化は如何にして実現されるのか。北はこの問題に答えるために社会と個人との一般的関係を明かにしようとする。彼が自らの立場を「純正」社会主義と名づけたのは、この問題の把握についての独自性を自負したからにほかならなかった。

  彼はこれまでの思想が、社会か個人かのいずれかに偏っていたと批判する。すなわち「社会の中に個人を溶解する」「偏局的社会主義」や、「思想上に於てのみ思考し得べき原子的個人を終局目的として、社会は単に個人の自由平等の為めに存する機械的作成の者なりと独断せる」「偏局的個人主義」(1−88〜9頁)の双方から自らの社会主義を区別しようとするのである。彼はこの両者の止揚をめざして次のように言う。

  「社会主義は固より社会の進化を終局目的として偏局的個人主義の如く機械的社会観を以て社会を個人の手段として取扱ふ者に非ず、而しながら社会進化の目的の為めに個人の自由独立を唯一の手段とする点に於て個人主義の基礎を有する者なり」(1-91頁)

  これまで述べてきたことからも明らかなように、北は「社会主義」を第一義的には「社会」 に重点をおく「主義」として理解していた。しかし同時にこの「社会」は「個人の自由独立」 なくしては発展し得ないと主張するのである。「緒言」でも「社会の部分を成す個人が其権威を認識さるゝなくしては社会民主主義なるものなし。殊に欧米の如く個人主義の理論と革命とを経由せざる日本の如きは、必ず先づ社会民主々義の前提として個人主義の充分なる発展を要す」と述べている。ではこの「個人の自由独立」や「個人の権威」の発展と、生存競争の単位 としての社会の強化・拡大とはどのような関係に立つのであろうか。ここで確認しておかなく てはならないことは、北における「個人の自由独立」は原理的な意味を持つものではないと言 う点である。つまり北にとって基本的なことは、「個人の独立自由」は「社会進化」のための「唯一の手段」だということである。つまり、それは最初から「社会進化の手段」という形に於てしか認識されていないのであった。

  そして彼は、社会的な拘束力がいかにして超越的な有機体に転化するのかを説明することなしに、社会は個人を分子とする高次の有機体であると主張するのであった。「人類の如き高等生物も生殖の目的の為めに陰陽の両性に分れたる者なるを以て、是れを男子として或は女子として、又親として、子として、兄弟としてそれぞれ一個体たると共に、中間に空間を隔てたる社会と言ふ一大個体の分子なり」(1-104頁)つまり個人も社会も共に一つの「個体」として、同じ次元で扱おうとするのであり、そこで「分子」とは集団の構成員という意味をこえて、一つの有機体の部分という意味を与えられているのである。 そして彼が、個人と社会とを共に「個体」だと主張するのは、個体は「個体としての意識」をもつ、つまり、社会には社会としての意識があることを主張したいがためなのである。

  「一個の生物(人類に就きて言へば個人は)−個体として生存競争の単位となり、一種属の生物は(人類につきて言へば社会は)亦一個体として生存競争の単位となる。而して個体には個体としての意識を有す。―個人が一個体として意識する時に於て之を利己心と言ひ個人性と言ひ、社会が一個体として意識する時に於て公共心と言ひ社会性と言ふ。何となれば、個人とは空間を隔てたる社会の分子なるが故に而して社会とは分子たる個人の包括せられたる一個体なるが故に個人と社会とは同じき者なるを以てなり。即ち個体の階級によりて、一個体は個人たる個体としての意識を有すると共に、社会の分子として社会としての個体の意識を有す。更に換言すれば、吾人の意識が個人として働く場合に於て個体の単位を個人に取り、社会として働く場合に於て個体の単位を社会に取る、吾人が利己心と共に公共心を、個人性と共に社会性を有するは此の故なり。―即ち公共心社会性とは社会と言ふ大個体の利己心が社会の分子としての個人に意識せらるゝ場合のことにして、分子たる個人が小個体として意識する場合の利己心も其の小個体が社会の分子たる点に於て社会の利己心なり。 故に利己心利他心と対照して呼ぶが如きは甚だ理由なきことにして寧ろ大我小我と言ふの遙かに適当なるを見る。」(1-105頁)
この社会論の中心点は、「社会とは分子たる個人の包括せられたる一個体なるが故に個人と社会とは同じき者」という点にみられる。だがここではまだ社会は、個人の公共心=社会の利己心という形で、つまり個人の意識の一部分にその姿をかいまみせているにすぎず、個人を超える社会の個体性は明らかになってこない。そこで北は、個人の公共心を規定する「道徳」に社会をみ、道徳の展開のなかに、個人と社会、社会進化の動態をつかまうとするのである。

  「道徳の本質は本能として存する社会性に在り。而しながら道徳の形を取りて行為となるには先づ最初に外部的強迫力を以て其の時代及び其の地方に適応する形に社会性が作らるることを要す。道徳とは此の形成せられたる社会性のことにして、……地方的道徳時代的道徳として地方を異にし時代を異にする社会によりて形成せられたるものとして始めて行為に現はる。……然るに社会の進化するに従ひて此の外部的強迫力を漸時に内部に移して良心の強迫力となし、惨酷なる刑罰によりて臨まれずとも又無数の神によりて監視されずとも、良心其れ自体の強迫力を無上命令として茲に自律的道徳時代に入る。他律的道徳と自律的道徳とは人の一生に於て小児より大人に至る間に進化する過程なる如く、社会の大なる生涯に於ても其の社会の生長発達に従ひて他律的道徳の時代より自律的道徳の時代に進化する者なり。」(1-300頁)

  ここで自律的道徳とは、さきの「個人の権威」、「個人の自由独立」に対応するものであることは明らかであろう。すなわち、自律的道徳が進化の過程で形成されたとみることは、自律した個人が歴史のある発展段階ではじめて登場してくるという把握を基礎としているわけである。従って北は、人類の進化を社会の拡大強化と、個人の自律化との二重の構造で捉えることとなるのである。彼はこの構造を、「同化作用」と「分化作用」という用語で説明しようとした。「社会の進化は同化作用と共に分化作用による」(1-119頁)と。

  彼はまず原始時代に個人意識の発生しない部落を想定する。そしてこの部落が「衝突競争の結果として征服併呑の途によりて同化せられ、而して同化によりて社会の単位の拡大するや、更に個人の分化によりて個人間の生存競争とな」(1-120頁)るというのである。つまり進化の歴史は「同化作用によりて小さき単位の社会たりしものより漸時に其の単位を大社会となし、又分化作用によりて最初には部落若しくは家族団体の如き個人より大なる単位に分化したるものが、更に小さく分化して個人を単位となして愈々精微に分化的競争をなすに至れり」(1-124頁)ととらえるのである。

  北の社会進化論は、この同化=分化の論理で言えば、自然成長的な同化=社会の拡大によって、個人へと向う分化が生れ、その結果、自律的な個人が形成されることによって初めて、人類は意識的に同化作用を推進し、従って進化の過程を自らの力でおし進めることが出来るようになるということにほかならないであろう。つまり自律的個人の形成は人類史の第一の画期をなすものなのである。

  彼がさきにみたように、「個人の自由独立」が社会進化の「唯一の手段」であると述べたのは、このような把握を前提としてのことであった。彼が「個人の自由独立」を強調したことは、一方における個性の自由な発展と他方での道徳への自律的な同化を、矛盾なく展開し得るものと考えたからであり、社会主義はまさにこの矛盾なき展開の道を拓きうると想定したからであった。そして社会主義の実現による未来への進化は次のようにえがかれるのである。 「物質的文明の進化は全社会に平等に普及し、更に平等に普及せる全社会の精神的開発によりて智識芸術は大いに其水平線を高む。経済的結婚と奴隷道徳とは去り、社会の全分子は神の如き独立を得て個性の発展は殆ど絶対の自由となる。自我の要求は其れ自身道徳的意義を有して社会の進化となり、社会I性の発展は非倫理的社会組織と辿徳的義務の衝突なくして不用意の道徳となる。」(1-181頁)

  つまり北は、 社会主義を「社会性を培養する社会組織」とみ、そこに於てはじめて「次なる行動が凡て道徳的行為」となる「無道徳の世」が実現され、同化=分化の両作用が合体し進化の新しい段階が開けると考えたのであった。そしてこのような進化を目的とする北は、同化と分化の同時的推進を道徳的義務として要求することになるのである。「道徳とは社会性が吾人に社会の分子として社会の生存進化の為めに活動せんことを要求することなり。故に吾人が吾人自身を社会の一分子として(小我を目的としてに非らず)より高くせんと努力することが充分に道徳的行為たると共に、多くは他の分子若しくは将来の分子の為めに、即ち大我の為めに小なる我を没却して行動することをより多く道徳的行為として要求せらろ。」(1-184頁)

  繰り返して言えば、この「道徳の要求」が、「個人の自由独立」によって達成されると考える点で、北は自らの思想の独自性を主張したのであった。従って外部からの強制は排されねばならなかった。彼が天皇は倫理学説を制定することが出来ないとして教育勅語を否認し(1-269、357頁)、近代国家は「良心の内部的生活に立ち入る能はざる国家」(1−368頁〉であることを原則とすると主張したのもこの点にかかわっていた。

  だがこの個人の独立・権威の強調、従って教育・啓蒙の重視は、あくまで北の理論の一つの 側面にすぎなかった。彼は決して個人の自由・独立を原理として、社会の再組織を考えているわけではなかった。自律的個人の小我は、社会の大我に吸収されることが予定されているのである。しかし社会の大我とは何か。それを道徳として捉えてみても、社会は個人を拘束する力であることが説明できるだけで、個人を超える主体としての社会はあらわれてこない。北がここで用意していたのは「国家人格」の理論であった。それは比喩的に言えば、社会を肉体とし国家を人格とする見方とも言えるもののように思われる。さきに述べた日露戦争前の彼の思想展開をみるとき、彼が進化論で自らの思想を基礎づけようとしたのは、このような社会=肉体、国家=人格の構想を思いついたからではなかったであろうか。

  個人の自律化を人類史の第一段階とした北は、次に「国家人格」の顕在化を人類史の第二段階として設定しようとするのであった。

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